千鶴夕登の日々雑談

夕登と沙樹由の会話形式で雑談をしているブログです。

オリジナル小説「ツマケイカク」サンプル

 1

 目の前に見えるのは、様々な色が混ざり合う様子。それらは結して一つなることもなく、不規則な動きを繰り返す。
 その何色なのかも表現できない見た目の悪さと、予測の出来ない動きは、息苦しさと、気持ちの悪さ、それに猛烈な熱を認識させる。
 それが寝苦しいということだと、頭に情報が形成されたとき、彼は目を覚ました。

「はあ、ハア、はあ……ハァーーはぁ……」

 息を乱しながら体を起こすと、額にはうっすらと汗が浮かび上がり、寝る前には確かに掛けた布団は、乱れた状態で床へと落ちていた。
 視線を部屋中に送り、カーテンの隙間から光が漏れているのを見て、今が朝だと言うことを認識する。

「はあ、はあ、はぁ……昨日の夜はそんなに暑かったのかなぁ?」

 季節はこれから冬を迎えようとしていた。窓をしっかりと閉め、布団を掛けなければ、とても寝られるような状態にならないので、今の状況は理解に苦しむ。

「けど、今日でもう一週間近いんだよな……こんな事が……」

 彼の名前は広瀬巴(ひろせともえ)男子学生だ。短髪の黒髪、痩せた体型と少女らしさも見える整った顔立ちで、勉強は出来るが運動はダメそうな印象を与え、実際その通りの青年だ。
 巴はこの一週間ばかり、謎の寝苦しさを覚えていた。しかし起きている間は至って正常、寝始めたときも布団が気持ちよく、あっさりと眠りに就ける。なのに朝になって起きれば布団はなく、体は苦しくなるほどに熱くなっていた。

「はぁ〜一体どうしたんだろう?」

 風邪による熱なのかと思うが、その熱は直ぐに冷め、何度計っても平熱に落ち着くし、頭痛や吐き気もしない。少々寝不足気味という点を除けば健康そのものだ。
 自身の体の調子を不思議に思いつつ体を起こし、顔を洗いに巴は一階へと下りる。

「おはよう、巴」
「おはよう、父さん」

 下りると父親の洋永(ようえい)が、朝食の仕度をしつつ挨拶をして来た。
 銀縁の眼鏡に細い目。背は巴が背伸びをして同じぐらいになるほど高いにも関わらず、体重は殆ど変わらない為、とても痩せて見える。短髪の癖っ毛に猫背気味、そして今はサラリーマンスタイルにエプロンという格好をしているので、弱気で頼りない印象を与えるが、巴とは違い印象通りではなく、とても優れた医薬品研究者で、会社からの評価も高い。

「顔を洗ったら、後は僕が仕度をするよ」
「ああ、すまない。どうも料理はやり慣れなくてな」
「父さんにはエプロンより、白衣が似合うよ」
「ははは。まあ、そっちが本職だからな」

 洋永は五年前に妻を亡くしてからは、仕事に集中するあまり家に殆ど帰る事がなかった。その為、家事全般は巴の役割となり、日々それをこなす事で立派に上達していた。
 一ヶ月程前からは仕事か一区切り付いたことで、今は朝晩は一緒に居るようになったが、洋永は家事が全くだめだったこともあり、今も巴がそのまま続けている。
 しかし、父親として面子を気にしてか、先に起きたときは出来る限り家事を行っている。

「ん? 巴、今日も顔色が優れていないな」

 洋永は製薬会社で医薬品の開発部門にいる関係上、人の健康に関しては敏感であり、巴が口で言わなくても、その変化には気が付いていた。

「んーーーちょっと寝不足で……」
「ウチの栄養剤でも飲むか?」

 自社の製品を家に置いてるので、栄養剤類については困らないほどの数があった。

「いや、そこまでの程でもないよ、暫くしたら良くなると思うから」
「そうか、体には気を付けろよ」

 父親の気遣いを背に軽く手を挙げて返事をし、洗面所で顔を洗い頭をスッキリさせる。冷たい水が体の熱も冷まし、気持ちも落ち着いてきた。
 キッチンへ行き朝食の仕度をしつつ弁当の準備も行う。前日の夜に下ごしらえをした鶏肉を出して唐揚げにし、ほうれん草を入れた卵焼きとご飯を弁当箱へ入れ、生野菜とフルーツは別の箱へと詰める。

「さて、ご飯にするかな」

 弁当に入れた温かい物を冷ます間に、今度は朝食の準備に入り、出来た物から居間へと運び、やがてテーブルには焼き鮭と焼き海苔、それにキュウリの浅漬けなど朝食らしいおかずを並ばれると、巴は父親と向かい合わせで椅子に座る。

「それじゃあ、父さん食べよう。いただきまーーーす」
「ああ、いただきます」

 親子二人での食事を巴は喜びながら食べる。作るも食べるも一人は寂しく、何を作っても美味しく感じなかった。しかし二人での食事は、簡単な物でも美味しく感じさせ、気持ちを温かにさせてくれた。
 そして今、こうして幸せな生活することの出来る環境があるのも、父親のおかげだった。洋永は同世代の者と比べても高給で、個人で特許の取得もしていることから、会社に行かなくても収入があり、もう働かなくても、生活して行く分には困らない程である。
 それでも働き続けるのは、会社の研究施設がしっかりしていること、それにより新たな薬を作ることで人を救うことが出来る。その事を生業としていればこそだ。

「ごちそうさま、それじゃあ父さんは会社へ行くよ」
「行ってらっしゃい。今日も定時?」
「ああ、その予定だ。今のプロジェクトが次へ行くまでは定時だよ」
「それじゃあ、夕食も二人分用意するよ」
「よろしく頼む」

 父親を見送り、巴は自分の支度を始める。教科書などの勉強道具を確認し、弁当を持つと家を出る。
 長い間一人での生活が長かった巴は、再び父親との生活が始まった事が嬉しく、今は気持ちも充実していた。

「母さん行って来ます」

 以前は母の眠る仏壇を見る度に寂しさを感じていたが、今は正面から向き合える程にまでなれたのも、毎日のように父親の姿を見て、自分が一人でないことが分かり嬉しいからだ。

「さ、今日もがんばるぞ!」

 家を出て、背筋を一杯に伸ばすと巴は登校した。
 学校での巴は教師の手を煩わせる事のない素直な生徒だ。勉強が出来、容姿端麗だとしても、それほど目立つような生徒ではない。

「よお、おはよう。巴」
「おはよう、錬」

 登校中に真っ先に挨拶を交わしたのは、東山錬(とうやまれん)という中学から付き合いのある青年だ。長身で筋肉質なので、一目でスポーツマンかと思われる体型と、凛々しく男らしい目鼻立ちは女生徒の中でも人気が高く、とても目立つ存在だ。
 巴は目立つ錬と何時も一緒にいることが多いため、「何時も東山の隣にいる人」という形で、学校では知られていた。言葉は悪いがおまけ程度の認識だ。

「ん? なんか元気がないな」
「あははは、あまり眠れなくてね。多分寝不足なだけだよ」

 殆ど毎日顔を合わせているだけあって、錬は巴のちょっとした変化にも気が付く。多少事ならあえて聞く事もないが、ここ数日続いているので心配にもなる。
 そんな錬に対して、巴は心配を掛けないように告げる。起きた直後の辛かった時間は過ぎ、今では少し疲れがとれない程度にまで回復していたこともあり、自分でももう大丈夫だろうと考えていた。

「なんだ、夜更かしをしただけか」
「ちょっと面白い本があってね」
「相変わらず読書家だねぇ〜俺は絵や写真がないと苦手だよ」
「それも立派な読書だよ」
「文字は殆どなくて、肌色が多いけどな!」
「まったくーーーまたそうゆう本ばかり見てーーー。僕も男だから嫌いじゃないけれど、錬のように堂々と人には言えないよ」

 冗談を言い合う頃には巴の具合は良くなり、いつもの姿に戻っていた。その様子を見た錬は、もう気にしなくなっていた。
 そこから先はいつもの変わらない時間を過ごす。授業を受け、昼休みは錬と食事を共にし、おかずを少し盗まれる。
 放課後は二人とも部活をしていないので、一緒に途中まで帰る。そのまま遊ぶときもあるが、どちらにせよ最後は夕食の買い物をして帰宅。夕食の仕度をしていると父親が帰り一緒に食事。そして入浴を済ませた後は部屋で勉強をし、早く終われば寝るまでの間、テレビや読書、パソコンなどをして就寝する。
 これが広瀬巴の日常だ。日々細かな変化があっても大きな変化はない。少なくとも学生の間はこれが続くのだろうと考えていた。
 その、半ば決められた繰り返しを退屈に思う者もいるだろうが、巴はそう感じていない。日々繰り返す何事もない日常が好きだったからだ。だから、それが続いてくれることを望んでいた。
 しかし……その望みが、今、崩れ去ることになる……。